幸せそうに見える人、実は不幸の真っただ中にいたり
あるいは不幸そうに見える人、実は幸せいっぱいの人生を歩んでいたり
「幸せ」というものは主観的な感覚 であって、外からどう見えるかとは必ずしも一致しません。
大きな家に住む人は他人から見たら
「広い庭付きの家に住んでいて、車も高級車。お金持ちで幸せそうだな」と思われるかもしれません。
しかし本人の実感は、ローンの返済に追われ、夫婦喧嘩が絶えず、ストレスを感じ「本当は心が休まる時間が欲しい」と思っている人がいるかもしれない。
質素な暮らしをする人を他人から見ると
「古いアパートに住んでいて、贅沢もしていない。苦労してそう」と見えるでしょう。
しかし本人の実感は、仕事から帰って趣味の時間を楽しみ、家族と笑い合う日々に満足している。「今の生活が自分に合っていて幸せだ」と感じている人もいます。
仕事の立場で考えてみましょう。
他人から見たら「大企業の管理職で肩書もあってすごい。きっと充実しているだろう」と思われるかもしれません。
しかし本人の実感は、責任が重すぎて眠れない日々が続き「もっと気楽に働きたい」と思っている。
逆に不正規のアルバイト。
収入も多くはないし将来の保証もないが「気の合う仲間と楽しく働けて最高」と感じている人もいます。
つまり
幸せは「外からの評価」ではなく「内側の感覚」。
他人にどう見えるかは参考程度でしかない。
自分の心が「これでいい」と感じる瞬間が幸せ。
幸せは「誰かにどう見えるか」ではなく「自分がどう感じるか」によって決まります。
繰り返しになりますが
豪華な暮らしや立派な肩書きがあっても、心が休まらなければ幸せとは言えませんし、反対に、質素でも「自分らしくいられる」「大切な人と過ごせる」「好きなことに熱中できる」と感じる日々は十分に幸せです。
他人の基準に合わせて「幸せそうに見える自分」をつくろうとすると、見栄や比較の連鎖に苦しむことになりかねません。
しかし、自分の心が「これで満ち足りている」と感じる瞬間を大事にすれば、他人からどう見られようと関係なく、確かな幸福感を得られるのです。
つまり
幸せは外から与えられるものではなく、自分の内側で見つけて育てていくもの。
他人の物差しに振り回されるのではなく、自分の感覚を信じて暮らしていくことこそが、持続的な幸せにつながるのでしょう。
幸せの基準は、他人の目に映る「豊かさ」や「成功」とは必ずしも一致しないのです。
誰かの基準に合わせるのではなく、自分自身の基準に従って過ごし、心に耳を澄ませることが、豊かで幸せに生きる第一歩なのかもしれません。









