常々「何のために生きるのか」「幸せとは何か」と考えることがある。
仕事に追われる日々の中でも、ふと立ち止まった瞬間に、この問いが頭をよぎる。
実はこの二つの問いは、深く関係しているように思えるのだ。
宗教や哲学の世界では、このテーマは古くから語り継がれてきた。
たとえば、仏教では「苦しみを超えて悟りに至る」ことが人の目的とされる。
煩悩を手放し、他者を思いやる心を育てることで、真の安らぎ、つまり「幸せ」に近づくという。
一方、キリスト教では「隣人を愛しなさい」という教えがある。
自分だけでなく、周りの人を愛し、助け合うことが神への道であり、それが幸福につながると説く。
また、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間の最高の善は幸福(エウダイモニア)である」と述べた。
しかし彼が言う幸福とは、快楽や成功ではなく、「徳をもって生きること」――つまり、人として正しく、他者に善くある生き方の中にこそあると説いている。
どの宗教や哲学も、根底には同じ考えが流れているように思う。
人は自分のためだけでなく、他者とともに生き、支え合うことで本当の幸福にたどり着くのだ。
難しい教えや理屈を抜きにしても、私たちはそのことを本能的に感じているのではないだろうか。
――人は、誰かを幸せにすることで、自分も幸せになれるのだと。
人間は、誰もが幸せになるために生まれてきた。
そう言うと、きれいごとのように聞こえるかもしれない。
けれど、よく思い出してみてほしい。
私たちはみな、生まれた瞬間から誰かに望まれ、喜ばれ、この世に迎えられた存在だ。
泣き声ひとつで家族を笑顔にし、周りの人に幸せを与えた。
あなたも。
誰もが最初から、人を幸せにする力を持って生まれてきたのだ。
生きていくうちに、仕事やお金、競争や不安の中で、「幸せ」はどこか遠いもののように感じてしまう。
けれど本当は、幸せとは誰かの笑顔の中にあるものだ。
人にやさしくすること、誰かを思いやること、ほんの少しの気遣いで人の心を温めること。
そうした行いの積み重ねが、巡り巡って自分も幸せを感じるようになる。
人生には、つらいことや苦しいことも多い。
けれどそんな時こそ、自分のためだけでなく、周りの人を幸せにするために生きようと思いたい。
そうすれば、不思議と心が軽くなり、自分もまた幸せを感じられる瞬間が増えていく。
「何のために生きるのか」と悩むとき、こう考えてたい。
人は周りの人を幸せにするために生まれてきた。
その結果として、自分もまた幸せになる。
それこそが、人として生きる意味なのだと思う。
綺麗ごとかもしれないが、いまの自分にはこの考えが腑に落ちるきがする。









